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パブコブランド

1901年創業時、製作していた大八車こそ、パブコのルーツです。
それから100余年、まさに20世紀そのものを生き抜き21世紀へと足を踏み入れた今、
パブコは、車体業界初の「1世紀企業」として現在も先頭を走り続けています。

ヒストリー

1世紀企業「パブコ」の歴史

1.木地屋仕込みの職人技を生かし、 車作りへの転身を図った創業者の心意気

創業者の実家は相当な資産家であったにも関わらず、
事業が零落していったことから小学校を中退し、木地屋に徒弟奉公へ。

その後、亡き父の実家が営んでいた車作りを手伝うことになり、やがて25歳で独立。
荷車から馬車作りに進み、次第にバスの前身のような乗合馬車まで手掛けるようになりました。

2.荷車製造所からトラックボデーへ 優れた 加工技術が未知の世界を切り拓いた

創業24年目の1923年、首都圏を襲った関東大震災は、
わが国のバスとトラックに大きな変化をもたらしました。
市電などが壊滅状態となったことから、アメリカから急遽大量のT型フォードのシャシーが輸入され、バスに仕立てられたのです。

しかし市電などの復旧に伴い、今度はそのバスが特装車やトラックに改装され、
当社のその確かな技術力が買われ記念すべきトラックボデー1号車を手掛けました。

以降、衰退の一途を辿る乗合馬車に代わり、トラックボデー架装に専念することになり、
組織体制を固めながら鉄板やアルミを張った独自のボデーを開発し、圧倒的にシェアを伸ばしていきました。

3.東京進出を機に日本全国ネットワークを形成 車体メーカーへ

第二次世界大戦の敗戦は、日本にとって大打撃でした。
しかし軍用一本に押さえられていた産業が民需に転換するエポックにもなりました。

1948年には東京工場を操業。以後、朝鮮動乱による特需景気に湧く中、
車体架装の需要も急増し、事業は拡大の一途をたどることになりました。

1961年には現在のパブコの拠点がある相模工場が完成。
1969年相模第二工場建設が完成し、新たな飛躍台として、新工場・新体制を整えました。

やがて北海道から近畿までをカバーした全国ネットワークを形成しました。
小さなボデー屋から大手車体メーカーへと踏み出し、「頼れる車体メーカー」の基盤を固めました。

4.さらなる飛躍をめざし、社名も「パブコ」へ

その後、オイルショック等幾多の困難を乗り越え、1990年に社名を「パブコ」と変更。

由来は、Pearl-Line All Brothers Corporation
「真珠は1つでも美しいが、それが輪になるとさらに美しさが増す」。

パブコは、車体業界初の「1世紀企業」として未来に向かって走り続けています。